普通について考える。

彼らは、生きている世界に対する理解が定型発達とは違いますが、
定型発達が多数を占める世界で生きていかなくてはならないので、
定型発達の世界の「普通」について、意識的して教える必要があります。

いろはでは、世の中の人の80%が賛成することを「普通」と定義しています。
例えば、1+1=?という問題を出したとします。
恐らく80%くらいの人は、2と答えるでしょう。
これを、「算数の問題です。」と、前置きすると2と答える人はもっと増えるかもしれません。
今回は、算数の問題とは一言も言っていないので、
2以外の答えを考える人もいるでしょうが、支援では1+1=2と教えます。

いろはでの普通に関する支援の例を挙げると、
場面や時間に応じて適切な、挨拶・報告・お礼を言うことを教えています。
定型発達の世界では、やって当たり前・出来て当たり前のことですが、
彼らは教えて練習しないと、やらないしうまく出来ません。
どうしてやらなくてはならないのか、といった理由は必要ありません。
パターンで覚えて出来るようになれば、それで充分です。

ちょっと悩むのは、普通の枠からはみ出しているけど、OKになりそうなことです。
例えば、バスや電車などの公共の場で声が出てしまう場合、
声を出すことそのものをダメとするか、小声であれば良いとするか、判断に悩みます。
隣に座った人が小声でぶつぶつ言っている時は、気にはなりますが迷惑かと言われるとそうでもない。
電話で話している人は小声でも迷惑に感じます。
そうすると、声は出すことをダメにした方が、汎用性は高そうです。

福祉の世界に限らずですが、狭い世界では世の中の常識や普通とかけ離れてしまうことがよくあります。
支援者として世の中の常識や普通に、アンテナを張って敏感になっておくことは、とても大事なことだと思います。

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